:回游月の昔話


「きみは、此処から出たことが無いのかい」
「無いよ。此処から離れる訳に行かないから」

 岩場から海に浸した足先は少しだけ冷え始めていた。焼き付く太陽も沈んだぼくの世界だった。海だけは、あのひとと出会ったあのひから変わらない。

「何故離れる訳に行かないのさ」
「離れたらこわれてしまうからだよ」
「壊れてしまったらどうなるんだい」
「どうなるのだろうね。消えて無くなってしまうのでないかな」

 溶けて消える海月のように。消えてなくなってしまう。きっと。
 彼の衣の裾を引いて、隣に腰掛けるよう促す。彼の、一瞬の怯えた瞳をぼくは見逃すことが出来なかった。

「こわい?」

 きみは、わたしが。
 彼の瞳が揺れた。あのひとと同じいろ。わたしを連れて行ってくれると笑って約束をした、あのひと。でも、どこかへいくということは、わたしの、わたしを否定するのとおなしだよ。

「もう、いいよ」

 解放してやる。ゆらり、と、ぼくの影が揺れた。
 彼はぼくの瞳になにを見たのだろう。恐怖や絶望よりも色濃く、哀悼が、うかんでいた。


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